「なんで留学したいと思ったの?」に、私は答えられなかった
先日、台湾人のルームメイトにこう聞かれた。
「〇〇はなんで留学したいと思ったの?」
その時、私は答えられなかった。
おかしな話だと思う。長文の留学志望書を書き、いくつもの選考を突破して、私は今こうしてシンガポールにいる。それなのに、いざ「なぜ?」と正面から聞かれると、何も浮かんでこなかった。
自分でもびっくりした。そして同時に、じゃあ私はなぜここにいるんだろう、という焦りに近い感情が押し寄せてきた。
その夜、布団の中でずっと考えた。そしてひとつの結論にたどり着いた。
私は、留学したくて留学したんじゃない。
志望理由書に書いた、立派な動機たち
念のため、当時の志望理由書を見返してみた。
そこに並んでいたのは、「多民族性への興味」「異文化理解」「人脈の拡大」「キャリアの構築」——いかにも立派で、いかにも通りそうな言葉たちだった。
嘘を書いたわけではない。どれも、確かに理由の一部ではある。でも、ルームメイトに聞かれた瞬間にこれらがスッと出てこなかったということは、たぶんこれらは「本当の動機」ではなかったのだと思う。選考を通すために、頭で組み立てた理由。そう言われると、否定できない。
正直に白状すると、志望理由書には書かなかった本音の動機もある。「世界大学ランキング上位の学歴がほしい」という気持ちは、間違いなく大きかった。
でも、こうして並べてみて気づく。私の動機は、どれも論理が先行している。計算が先にある。
本当の理由は、もっと根の深いところにあった
ではなぜ、そこまでして留学「しなくてはいけない」と思い込んでいたのか。
私は、中国系の血を引いている、いわゆる「グローバルな背景」を持っている人間だ。
そういう自分が、英語を話せない、海外経験がない、海外に人脈がない——そんな状態でいることが、私にとっては「まずいこと」だった。東アジアや東南アジアを知らないということは、私にとっては「自分自身を知らない」ことと同じだった。この感覚が、ずっと心の奥深くにあった。
だから私は、中学生の頃から「大学では長期留学をするものだ」と思っていた。いや、「するものだ」というより「しなければならない」に近い。
試しに想像してみる。もし私が、ルーツを持たない、いわゆる「純ジャパ」だったら、留学していただろうか。
たぶん、していない。英語の勉強は個人的に続けていたと思う。でも、あれだけの労力をかけて長期留学して、海外経験を積もうとまでは思わなかった気がする。
「留学したい」で留学できる人を、私は尊敬している
だからこそ、思うことがある。
純粋な「海外への憧れ」や、「いろんな経験をしてみたい!」という前向きな気持ちだけで、実際に長期留学を実現している人を、心から尊敬する。
私の動機は、正直に言えば、もっと打算的で、もっと義務感に近いものだった。憧れというより、焦り。やりたいというより、やらなきゃ。そういう動機で、私はここまで来た。
動機なんて、きれいに整っていなくていい
ここまで読んで、もし誰かがこれから留学を考えていて、「自分の動機ってこんなものでいいのかな」と不安に思っているなら、伝えたいことがある。
動機は、きれいに整っていなくていい。
憧れでも、焦りでも、義務感でも、学歴がほしいという欲でも、なんでもいい。立派な志望理由書が書けるかどうかと、留学する資格があるかどうかは、まったく別の話だ。
私は留学の理由を聞かれて答えられなかったけれど、それでも今、確かにシンガポールにいて、ここでしか得られない経験を積んでいる。動機が後ろ向きでも、得られるものはちゃんと前向きだったりする。
だからもし、立派な理由が見つからなくて留学に踏み出せずにいる人がいたら、その背中を少しだけ押せたらいいなと思う。
このブログでは、そんな私のシンガポール留学のリアルを、これから少しずつ書いていくつもりだ。

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